父(ウツ病8年生)・母(サポートウツ5年生)・広汎性高機能発達障害兄弟4人、6人家族の日々です
長男(23歳)は大学卒業、未だ就職が決まらず…
次男(21歳)は高1の1月から不登校で留年、閉鎖病棟入院も体験、高校1年生を6度…、しかし復帰できずに退学
三男(19歳)は中3、4月半ばから不登校、高校受験せずに卒業しました
末っ子(13歳)は中2、小3、6月末から不登校です
宝塚観劇大好きです♪
どうやら実生活はとてもタイヘンなようで…
頑張らないがモットー(^^)
できない時はやらないで、ぼちぼち生きてます(^^;)
このたび、元「保護犬」
ミニチュアダックスフントHopeが我が家にやって来ました
そしてそして
保護犬の預かりなんかも始めちゃいました
現在の預かりっ子はSnowy(マルチーズ♂去勢8才4.5キロ)
我が家のどたばたはさらに磨きがかかります(^^;)
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author:みなみん(さいきみなみ)
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奈良在住40代主婦です。
出身は長野の田舎
夫は岡山出身
息子が四人
上から22歳(大学卒業)20歳(高1のまま留年)18歳、13歳(中1)

夫がウツ病と診断されて丸8年が過ぎました。
ウツ4年目、医師の事情で病院も主治医も変えました。

2006年(平成18)6月、
ついに私も動けなくなり、
夫の主治医に診てもらって抑ウツ状態と診断され、
それ以来通院と薬の服用を続けています。

2007(平成19)年8月半ば、
3度目の休職が丸2年を超えたころ、
夫は時短勤務で職場復帰を果たし、
11月末からは5時までの定時勤務に入りました。
しかし家族の事情などもありましたが、
有給消化のペースが速すぎて、
5月半ばからまた休職。

2008年(平成20)11月
職場復帰、
サポート勤務制度(時短勤務)3ヶ月を経て、
2009年(平成21)2月
通常勤務に入りました。
2010年(平成22)4月頃から
東京日帰り出張もこなせるようになっています。

長野で知り合い、夫は就職して奈良へ、
3年後1988年(昭和63)、結婚しました。
結婚翌年1989年(平成1)に長男、
2年おきに次男・三男が生まれました。

夫は電機メーカーの技術者、
朝は8時くらいに出勤、帰りは夜10時を過ぎ、
これが普通なのだと聞かされました。
低血圧で目覚めが悪く、
朝はぎりぎりまで寝ていて朝食は取らずに慌しく出勤、
昼食と夕食は会社の食堂でという生活をしていました。

1996年(平成8)、
朝6時前に出勤・日付が替ってから帰宅という、
私にとっては信じられない勤務がしばらく続き、
夏、アメリカに出張した後に倒れました。
舌癌、右頚部リンパ節まで転移していました。

夫は3ヶ月入院、
抗癌剤・放射線治療の後、
右頚部リンパ節切除、
舌の1/3ほどを切除、
切除したところにに左手首から動脈静脈一組と皮下組織ごと皮膚を移植、
舌再建術という手術を受けました。
朝起きると吐気がする、それは舌を手術しているせいだ、
よくそう言っていました。

1998年(平成10)、
四男が誕生。

2002年(平成14)、
上の子供たちが成長して手狭になった自宅を増築しました。
増築工事開始直前、半ば真剣に会社を辞めて就農する、
という選択肢を模索していた様子でした。

2003年(平成15)、
朝、会社に出勤できない、出勤しても早退する、
ということが時々起こるようになりました。
夫はここで、自分がうつ病であると自覚したようです。
病院も自分で探して通院するようになりました。

2003年(平成15)秋、
うつ病で1ヶ月休職する…
そう夫に告げられて、夫のことは心配だったものの、
驚き、戸惑い、不安、どうしたら良いのか、
私が混乱しました。

1ヶ月休んで復帰、
しかし2ヵ月後、
2004年(平成16)
今度はまた2ヶ月休みました。
4月から復帰するも8月から休職、年末まで休みました。

2005年(平成17)
お正月休み、休み明けから復帰、
しかし8月から休職、
そのまま2007年(平成19)8月半ばまで
ほぼ2年、休職しました。

職場復帰して、
時短勤務から通常時間の勤務にと、
順調に進んでは行きました。
2007年(平成19)1月に次男、
4月に三男、
7月に末っ子と、
次々と不登校になりました。
殊に次男は自殺念慮有りということで
2007年(平成19)5月、
閉鎖病棟入院、
6月末に退院。
しかし、なかなか高校に復学できずに暴れたりしました。
夫は3月半ばから2ヶ月でほとんど有給を消化してしまう事態になり、
5月半ばから休職、
2008年(平成20)11月から復帰、現在に至ります。

2004年(平成16)、
私が外に出る機会を作った方が良いかとの思いから、
小学校・中学校の役員、
三男が所属していたスポーツクラブの役員、
三つも引き受けました…が、これはちょっと無謀でした。

2005年(平成17)、
四男が小学校に入学して落ち着いたころ、
収入の不安もありましたし、
また私の家の外での居場所を求めてパートに出始めました。
しかし、次男・三男そして末っ子まで不登校になるに至り、
職場での「辞めたらいいのに…」という圧力にも屈する形で退職、
現在、専業主婦に戻りました。

次男は入院を体験し、家族の良さを再認識してくれたのですが、
退院後も不安定で家の中で暴れたり、
兄弟と大喧嘩したりしました。
この頃やっと、何かに怒りをぶつけることがなくなったように思います。
ただ、相変わらず睡眠のリズムが安定せず、
普通の高校生に戻るにはハードルが高過ぎる
というのが現状だと思います。

夫は、息子たちには大学まで進学してほしい、
その間に自分の道を決めていってほしいと思っていたようで、
上の息子三人は塾に通わせました。
現在は次男・三男は不登校になってしまって、塾には通っていません。

長男が、
「お父さんの復帰が早いか、ウチの経済が破綻するのが早いか…」
と冗談めかして言ったことがありました。
私も以前はその恐怖におののいていました。

私は息子たちに大学進学までは望みません。
身の丈に合った生活、
自分の適性に合った道を見つけていってくれたらそれで良いと、
思っています。
そのために、せめて息子たちが今いる場所、
自宅を守ってやりたいと思っていました。

今では治療の効果か、
それまでの言い知れぬ恐怖・不安を感じることは少なくなりました。

2005年(平成17)から3年ほど、
夫は会社で産業カウンセラーのカウンセリングを受けていました。
私も一時期疲れ切ってしまい、
夫に会社のカウンセラーに連絡を取ってもらって、
夫婦二人でカウンセリングを受け、
私一人だけのカウンセリングも何度か受けました。

私は結婚後はずっと専業主婦でした。
深く考えることなく奈良に来てしまい、
慣れない土地、慣れない育児、
おそらく当初の私は軽いうつ状態ではなかったかと思います。
長男はどちらかというと育てにくい、手のかかる子で、
その下にさらに小さい子供がおりましたので、
精一杯、でもうまくいかない、
夢中で毎日を送っていたら、
いつの間にか年月が過ぎ去っていた、そんな感があります。

2007年(平成19)、
まず次男、そして長男が心理検査を受け、
広汎生高機能発達障害であるとのことでした。

次男は自分の不得意分野を補おうと必用以上に神経を使い、
その結果疲れ切ってしまった、とのことでした。

長男は不得意分野はあるものの、
着実に「自分」を形成して来ています、
とのことでした。

三男は、書面でもらっているわけではありませんが、
得意・不得意に大きなアンバランスがあり、
上の息子たちと同じような傾向を持っているようです。

末っ子も学校に行き渋るようになり、
2007年(平成19)8月
思春期外来受診、
9月、心理検査を受けました。
末っ子も「言葉による理解」が不得意である傾向、
とのことでした。
抽象的な「言葉」より
「映像」「図」で見せられたら、間違えることは、ほぼない、とのこと。
この辺りがアンバランスなのだそうです。

上の息子たちが幼かったころ、
私は何かを見つけたくて手探りでもがいているような状態でしたが、
2001年(平成12)から
宝塚歌劇の舞台を観るようになり、
今では得難い楽しみとなっています。
宝塚や大阪での舞台はほとんど観に出かけますし、
東京には4度ほど、名古屋にも行ってきました。

宝塚の舞台は
「美しく華やかであること」
が大前提、
夢の時間が過ごせるのはもちろんなのですが、
私がかつて
「この人と一緒にいたい」
その思いだけで遠距離を飛越えて奈良まで来たのだ、
そんなことを思い出すことができるのです。。


平成23年6月編集
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